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大徳寺

元応元年(1319)大燈国師(宗峰妙超)が創建した禅寺で、応仁の乱で焼けた後一休禅師が復興した。豊臣秀吉が織田信長の葬儀をここで執行したことは有名。境内は広大で南北一直線上に典型的禅宗伽藍が配置され、築地塀に囲まれた内には21の塔頭がある。本坊には国宝の方丈、重文の襖絵、特別名勝の庭園があるが非公開。通常公開している塔頭は竜源院・瑞峯院・大仙院・高桐院・興臨院のみ。

大徳寺その1大徳寺その2大徳寺その3
 
高桐院

高桐院は、江戸時代初期の武将で茶人としても有名な細川忠興(三斎)が、父・幽斎の弟・玉甫紹そうを開祖として建立した大徳寺の塔頭で、細川氏の菩提所である。三斎は茶人としては「利休七哲の一人」といわれる名手で、書斎は利休の邸宅を移築したものといわれる。書院に続く茶室「松向軒」は三斎好みの二帖台目で、三帖の水屋がつき、壁や天井にも趣向が凝らされていて有名である。境内にある三斎の墓標の石灯籠も利休が三斎に送ったものと伝えられている。書院の庭は江戸初期の作庭で、本堂の前庭は楓の樹を巧みに配しているのが特色である。寺宝では、中国南宋時代の画家李唐の山水画二幅が特に有名で、現存する墨絵山水画の圧巻と称賛されている。境内には三斎とその夫人ガラシャの墓、近世初期の歌舞伎踊りの名手、名古屋山三郎、出雲阿国の墓がある。

 
紫式部のお墓

紫式部のお墓紫式部は、藤原為時を父として天延元年(973年)ごろに生まれた。祖父も父も歌人であった関係から幼時より学芸に親しみ、その優れた才能は早くから認められていた。長保元年(999年)藤原宣孝の妻となり、翌年娘の賢子(かたこ)を産んだが、同三年(1001年)不幸にも夫を失った。
寛弘三年(1006年)ごろ、内覧左大臣・藤原道長の長女で一條天皇の中宮として時めいていた彰子(あきらこ)に仕え、候名(さぶらいな)を父の官名にちなんで「式部」と称した。式部は中宮に漢文学を教授するかたわら、「源氏物語」の執筆に励み寛弘六年(1009年)ごろ、この壮大な物語を完成した。「源氏物語」は、執筆当時から宮廷社会においてもてはやされ、その女主人公・紫の上にちなんで、彼女は紫式部と呼ばれた。寛弘七年(1010年)ごろには、日本思想史の上で稀有な虚無的人生観をこめた「紫式部日記]をまとめ上げ、晩年には中宮の側近に仕え、「紫式部集」を自選した。
紫式部のお墓没年については、長元四年(1031年)とみなす説が有力である。「河海抄」その他の古記録は、「式部の墓は、雲林院の塔頭の白毫院の南、すなわち京都市北区紫野西御所田町に存した」と伝えている。「源氏物語」は完成後、九世紀にわたって国民に親しまれ、また研究された。20世紀に入ってからは、式部の文名はひろく海外でも知られ、「源氏物語」は各国語に翻訳された。1964年、ユネスコは、式部を「世界の偉人」のひとりに選んだ。

 
今宮神社

今宮神社大徳寺に北接し、疫病の神様として知られる。正暦五年(994年)船岡山に創建された疫病鎮護の神社が起こりと伝えられ、その後今の地に移り今宮神社となった。祭神は、大国主命・事代主命・稲田姫命を祀り、社殿は明治の再建だが摂社が多いためか古社の風格が感じられる。 4月の第2日曜日に行われる病魔退散を祈る「やすらい祭」(民俗無形文化財)でも有名。行列の花傘の下に入ると病気にかからないと言われている。またこの祭りは、太秦の牛祭、鞍馬の火祭とともに京都三奇祭の一つになっている。東門を出た所には、名物「あぶり餅」を売る軒のれんの店が向かい合い、江戸時代の社頭風景のなごりを思わせてくれる。

あぶり餅

 

あぶり餅

今宮神社の門前でおいしそうな香ばしいにおいを漂わせている2軒の「あぶり餅」やさん。今宮神社の名物になっているこのお餅は、厄除けに良いとされている。

 
建勲神社(たけいさおじんじゃ)

建勲神社織田信長を祀る神社で、通称「けんくんじんじゃ」と呼ばれる。天下を統一した信長の偉業をたたえ、明治二年(1869)明治天皇により創建された。同八年(1875)社地を船岡山東麓に定め、ついで現在の山頂に遷座した。船岡山は、平安京正中線の北延長上に位置し、平安京の玄武に擬られ、造営の基準点にされた所で、本能寺の変(1582)の後、豊臣秀吉が正親町天皇の勅許を受け、主君である信長の廟所と定めている。信長着用の「紺糸威胴丸」、桶狭間の合戦の際の「義元左文字の太刀」、太田牛一自筆本の「信長公記」などの重要文化財のほか、信長ゆかりの宝物を多数有する。10月19日の船岡祭は、祭神・織田信長が永禄十一年(1568)初めて入洛した日を記念したものである。

建勲神社の大鳥居建勲神社の大鳥居

京都府下最大の「木造明神型素木造」で明治十三年(1880)に新築の後、昭和九年(1934)に全面的に建て替えられ、平成十二年(2000)に大改修が施工された。使用材は耐久性に優れる台湾阿里山産の紅檜である。今では大口径の紅檜は全く入手困難であるため、素木造の大鳥居は極めて貴重な国民的財産であり、木の素材の美しさと自然な趣を醸す貴重な文化財である。

大鳥居寸法 最大高 24尺3寸(7.43m)
最大幅 34尺(10.3m)
柱の木径 2尺3寸(0.7m) 推定樹齢1200年以上

 

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